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ガッツマン 13/05/10(金)12:49
右肘の故障で07年7月1日を最後にマウンドから遠ざかっている元レンジャーズの大塚晶則投手(41)が日本の独立リーグで復帰することが9日、分かった。6年間で計6度の手術を受けた同投手は壮絶なケガとの闘いを激白し、昨年は左投げに挑戦していたことも明かした。06年第1回WBCで胴上げ投手にもなった守護神は、前例のないカムバックを目指し、今月下旬に米国から帰国する。
日米通算176セーブをマークした大塚がマウンドから姿を消して、もう6年になる。41歳になった右腕は今年3月、自宅がある米サンディエゴで投球練習を再開。1日置きで、現在は傾斜があるマウンドからも投げられるようになった。
「ピッチングを始めて間もないですけど、いいボールがいっているのは確か。この6年間でこの段階まで来たことは一度もなかった。以前のように投げられるイメージが80%まで来ている」
幾度となく絶望の淵に突き落とされた。孤独なリハビリは2000日以上に及ぶ。一向に回復しない右肘。「発狂して壁をぶち壊したこともあった」という。昨年は左投げにも挑戦していた。
6度目の手術から3カ月が経過した昨年2月、キャッチボールを始めると右肘を激痛が襲った。「終わったと思った」。そんな時、あるDVDを見た。「両腕のない中国の少年が足でピアノを弾いていた。凄いなと。俺もまだ左腕があるじゃないかと」。それから毎日300〜500球の練習。最初は4〜5メートル先の的にも当たらなかったが、そのうち70メートルまで投げられるようになった。
左投げに挑戦してから5カ月後、久しぶりに右で投げたところ痛みが消えた。ただ、この時点でも「復帰できるイメージは2%ぐらい」。転機は今年3月10日、サンディエゴでのハーフマラソンに出場した全盲セーラーの岩本光弘さん(46)の伴走役を務めたこと。レースまでの1カ月間、週2日は一緒に走り、再びケガと立ち向かう勇気がわき上がった。
「マラソンが終わったら、どれだけ痛くても思い切り投げてみようと決心した。これでダメなら仕方ない。そうしたら、投げるたびに驚くほど状態が上がっていった」。41歳は不屈の41歳は不屈の精神で、奇跡を起こそうとしている。